立花ゼミ生から先生へのメッセージです。生前に親交のあった方々からのメッセージはこちらです。

知の自由形競技

進学振り分け前の学部生には、クラスはあっても決まった部屋はなかった。
さまざまな学問の入り口となる講義は点在していたが、それらを一望できる見晴らし台はなかった。
立花ゼミは、「科学総合サイトをつくり、それを発展させていく」という大目標のもと、この両方を提供してくれた。

ゼミ部屋があった先端研はメインキャンパスの喧騒から離れたところにあり、足を踏み入れるとき独特の高揚感があった。
ゼミの活動の中心は、「SCI(サイ)」と名づけられた科学総合サイトのコンテンツを学生主体のさまざまな企画で充実させることだった。全学自由研究ゼミナールという枠で開講されているもののうち、もっとも語義に忠実な──全学的で自由な研究のためのゼミだったと思う。
自分にとって、二十歳の頃を過ごしたかけがえのない居場所だった。

立花先生は自分が考えるどんな「先生」像にも合致しない人だった。
背中で語るタイプの師匠だったし、ネームバリューをかさに着ず学生にタダで貸してくれる太っ腹なボスだった。
その背中から学んだ一番大切なことは何だったか。
今、職業研究者となった自分が当時を振り返ってみると、それは「知は研究によって生まれるのみにあらず」ということのような気がする。

自然科学研究機構のシンポジウムを準備するため科学者へ取材に行く。Brain-Machine Interfaceについて、攻殻機動隊の押井守監督と対談する。
自分が見た立花先生は、どういう場においても鋭い質問を浴びせ、新しい物の見方、新鮮な「知」を引き出していた。
それは狭義の個人研究とは違う、事前調査に裏打ちされた自由な掛け合いであって、話し相手と一緒になって知的好奇心を満たす言葉を探り当てていく「知の自由形競技」であった。

立花先生、自分はこの原体験がなければ、今ほど研究職を楽しめていなかったに違いありません。
本当に、ありがとうございました。

加藤 淳
東京大学 第二期立花隆ゼミ
“知りたい”の力を教えてくれた先生

2005年春、田舎の高校から上京した私は、大学の授業の中に、あの“テレビで見ていた立花隆”のゼミがあると知り、履修することにした。初回のゼミは大教室で立ち見がでるほど、学生で一杯だった。
ところが、その後、回を重ねるごとに、ゼミに来る学生の数は減っていった。
それはなぜか?
立花先生は初回こそ、自身の興味の対象について(当時はサイボーグ技術や、量子力学についてだったと思う)熱く語ったものの、その後のゼミは学生に”お任せ”。週によっては教室に来ない日もあった。だから、立花隆の面白い話が聞けると期待していた学生はやがて来なくなった。
残った学生はチームを組み、立花隆ゼミの名のもとに、自分が知りたいと思う研究をしているところに取材に行き、記事を書くことになった。

私にとってそれまで「先生」とは、直接何かを教えてくれる存在であった。だからこうした授業は新鮮だった。そして、とてつもない有難みも感じた。どこの馬の骨ともつかない学生が、最先端の研究をしている科学者に直接会い、話を聞ける。そのために「立花隆」の名前を貸してくれていたのだ。私は真っ先に、田舎の高校生だった頃から憧れていた生物学者に会いに行った。
自分の“知りたい”気持ちをエンジンに、翼を広げ、どこへでも飛んで行け。
立花先生は、きっとそんな思いで、背中を押してくれていたのだ。

そんなに真面目なゼミ生ではなかったため、先生と顔を突き合わせて話をした機会は、実はほとんどない。でも、印象に残っている記憶が2つある。
1度目は、大学1年の終わり頃の飲み会。生物学志望だった私が当時、興味を持っていた性の分化(胎児のときに男性器・女性器はどう作られるか)の話で先生と盛り上がった。「ヴァギナはね、すごいんだよ。」大声で熱く語る立花先生。先生の興味の対象には、常識もタブーも世間体もない。そこにはただ純粋な“知りたい”気持ちがあるのみだ。とてもとても楽しかった。
2度目は、就職活動を終えた夏。ゼミの皆で行ったアウシュビッツ見学旅行の前に、先生とプラハでお酒を飲んだ。その時の話題は日本の戦後史だったと思うが、私はからきし知識がなく、先生に「それも知らないのー?」と5連発くらい言われてしまった。先生は心底がっかりしているようだったが、その時、私は思ったものである。「知らないってことで、そんなに責めないでよ。たまたま知らなかったんだからしょうがないじゃん」と。
でも、あれから10年以上が過ぎた今、先生の落胆の意味がわかるような気がしている。
「知らない」自分は、「知ろうとしない」自分の積み重ねの結果として、ここにあるということ。一つ一つの知識のこと以上に、「知ろうとしない」自分でいたことを恥じなさい。…先生はそう言いたかったのではないか、と勝手に思う。
<いつも“知りたい”という気持ちを持ちなさい。それは人生を豊かにするし、自分を遠くまで連れ出してくれる。>それが、私が立花隆先生から教わったことで、今も心に刻むことだ。ありがとうございました。

徳田 周子
東京大学 第二期立花隆ゼミ
小石川の(ちょっと変な)おじさん

「今度、こういう面白いことやるから、手伝ってくれない?」

そう話をする立花さんの顔は、
まるで子どもが別の子どもを遊びに誘うような
溌溂としたものだった。

「この本読んだ?すごく面白いよ」

昔話でも、まして自分の自慢話でもなく、
口をついて出るのは常にその時々で
立花さんが興味を抱いている事象についてだった。

当時、二十歳前後の学生だった自分にとって、
大学の教室で、小石川にあった事務所で、
そして時には居酒屋のテーブルを挟んで直に触れる立花隆は
何よりも「面白いこと」に満ちた人だった。

こんな大人もいるんだ。いていいんだ。

もちろん誰にでも真似のできる生き方ではないことは充分理解した上で、
それでも毎日自分の興味関心のある事柄を追いかけて過ごされる姿は、
学生だった当時も、社会人になった現在もとても素敵だったなと思う。

立花さんが企てる「面白いこと」にご一緒することは
残念ながらもう二度とできないわけだが、
立花さんから、そしてゼミの活動を通して学んだことは、
いまでも自分の血肉として残っている。

立花さん、本当にありがとうございました。

須佐美 智博
東京大学 第二期立花隆ゼミ