進学振り分け前の学部生には、クラスはあっても決まった部屋はなかった。
さまざまな学問の入り口となる講義は点在していたが、それらを一望できる見晴らし台はなかった。
立花ゼミは、「科学総合サイトをつくり、それを発展させていく」という大目標のもと、この両方を提供してくれた。
ゼミ部屋があった先端研はメインキャンパスの喧騒から離れたところにあり、足を踏み入れるとき独特の高揚感があった。
ゼミの活動の中心は、「SCI(サイ)」と名づけられた科学総合サイトのコンテンツを学生主体のさまざまな企画で充実させることだった。全学自由研究ゼミナールという枠で開講されているもののうち、もっとも語義に忠実な──全学的で自由な研究のためのゼミだったと思う。
自分にとって、二十歳の頃を過ごしたかけがえのない居場所だった。
立花先生は自分が考えるどんな「先生」像にも合致しない人だった。
背中で語るタイプの師匠だったし、ネームバリューをかさに着ず学生にタダで貸してくれる太っ腹なボスだった。
その背中から学んだ一番大切なことは何だったか。
今、職業研究者となった自分が当時を振り返ってみると、それは「知は研究によって生まれるのみにあらず」ということのような気がする。
自然科学研究機構のシンポジウムを準備するため科学者へ取材に行く。Brain-Machine Interfaceについて、攻殻機動隊の押井守監督と対談する。
自分が見た立花先生は、どういう場においても鋭い質問を浴びせ、新しい物の見方、新鮮な「知」を引き出していた。
それは狭義の個人研究とは違う、事前調査に裏打ちされた自由な掛け合いであって、話し相手と一緒になって知的好奇心を満たす言葉を探り当てていく「知の自由形競技」であった。
立花先生、自分はこの原体験がなければ、今ほど研究職を楽しめていなかったに違いありません。
本当に、ありがとうございました。